エアコンの効きすぎた部屋で、俺はスーツの中で震えていた。
三十分前まで、こんなに寒いとは思わなかった。面接会場の廊下は真夏の日
差しで白く灼けていたのに、この部屋だけ季節が違う。
「(匿名希望)さん、どうぞ」
呼ばれて立ち上がる。膝の裏に汗がにじんでいるのに、指先だけが冷たい。
「失礼します」
案内された部屋は、待合室よりもう一段冷えていた。
面接官はノートパソコンの画面と履歴書を交互に見比べながら、こちらを見もせずに言った。
「えーと、最終学歴は……(匿名希望)大学ね」
「はい」
声が小さかったのは自分でもわかった。喉の奥に何か詰まっているみたいで、思うように出てこない。
「君、もう少しハキハキしゃべれないの?」
「すいません……」
「これだから最近の若いのは」
面接官は小さく笑って、隣の面接官と目を合わせた。
それから何度か、意味のない質問と意味のない返事のラリーが続いて、
「面接は以上になります、結果は後日メールで送りますので」
「――はい」
「ありがとうございました」
会場を出た瞬間、廊下の熱気がどっと肌に張りついた。
あの日感じた寒さだけが、いまだに自分の中から抜けていない。
数日後、スマホに結果が届いた。
「不採用」の三文字。
これでちょうど百社目だった。
数える気力がそこで尽きた。
あの面接官の笑い方だけは、今でも鮮明に思い出せる。
――それから二年が経った。
深夜三時。
部屋の中で唯一動いているのは、壁際のエアコンだけだった。
唸るような低い音が、この六畳間の呼吸だった。
その呼吸が、ふっと止まった。
「……暑い」
数秒遅れて気づく、エアコンが切れている。
天井の常夜灯も消えている。
「あー……電気代、払ってなかったか」
驚きはなかった。むしろ、順番が来ただけだという感覚のほうが近い。
親からの仕送りも、去年でとうに底をついている。
朝、汗だくで目が覚める。天井の木目はいつも同じ位置にあって、スマホの広告と同じくらい何も変わらない。
ただ、鬱陶しいだけだ。
会社に頼らず、自分の力で稼ぎたかった。
そう思って早朝から始めたライブ配信も、結局は誰も来ない。
投稿を上げても誰も読まない、フォロワー数は三人。
そのうち一人は、以前作った自分の捨てアカウントだ。
視聴数は――言いたくもない。
配信を切った。
ベッドに転がって、いつものように意味もなく画面をスクロールする。
指先だけが、この部屋で唯一まともに動いている器官だった。
そのとき、タイムラインの隙間に見慣れない広告が滑り込んできた。
「あなたの人生、まだ反転させられます。」
飛び出してくる系の広告か。ウザい。
普段ならそう思って鼻で笑い、流すコピーだった。安っぽい煽り文句なら、この二年で何百と見てきた。
けれど今日は、なぜか指が止まった。
タップしてしまう。
画面が一瞬、黒に沈む。
読み込まれたのは通販ページでも副業商材のランディングページでもなかった。金の縁取りが施された、招待状のような一枚の画面。
中央には古びた洋館のシルエットが浮かび、窓の一つひとつに小さな仮面の紋章が刻まれている。
REVERSAL
その文字を見た瞬間、妙な胸騒ぎがした。
「……なんだよ、これ」
呟きは、開けっぱなしの窓から入り込む蝉の声にかき消された。
指先が〈入館する〉のボタンに触れる。迷いはなかった――迷う気力すら、もう二年前に使い果たしていたのかもしれない。
画面が白く弾け、洋館の扉がひとりでに開いていく映像が流れ出す。
扉の奥には、闇より深い暗がりが広がっていた。
――と、そのとき。
知らない番号から、着信が鳴った。
電話は苦手だ。出たくない。指がスマホの上で止まる。
けれど今しがた見た〈REVERSAL〉の四文字が、頭の奥にこびりついて離れない。
震える指で、通話ボタンを押す。
「……はい」
「今から、お迎えに参りますね!」
「――は?」